「実は広島をやめようとしたのは、今回が初めてではありませんでした。3年前にも一度、広島を出る決意をしていたんです」――。
2016年、一軍打撃コーチとして、広島カープを25年ぶりのリーグ優勝に導いた石井琢朗さん。再びリーグ優勝を果たした2017年10月5日に、同じく打撃コーチだった河田雄祐さんとともにカープ退団を発表。
広島ファンのみならず多くの人に大きな衝撃をもたらした。11月にはヤクルトスワローズに移籍することが発表され、すでにコーチとしてその存在感を表している。
「移籍の理由」については「家族のため」とだけ報じられたが、それは急に決まったことではなかった。2001年に石井さんと結婚した、元フジテレビアナウンサーの詩織さんが語ってくれた、「家族の絆」とは。
自由契約で広島入り
そもそも石井が広島に最初に行ったのは2009年のこと。前年に横浜から引退を打診された、38歳のときです。石井は現役選手としての続行を希望し、自由契約での広島入りでした。
このとき、私たちには女の子が二人いて、長女がちょうど4月から1年生に入るところでした。広島に同行するかどうかと考えましたが、なにしろ自由契約の選手です。1年後、そのまま広島にいられるとはまったくわかりません。
さらに当時私は大学に戻って臨床心理の勉強をしており、「来年帰ってこざるを得ない可能性もあるなら、生活を大きく変えない方がいいね」と、石井単身で広島に行くことになりました。
幸い、契約を更新していただけて、もう1年選手を続けられることになりました。でも翌年もどうなるかわからない。もう少し単身にして様子を見ようということになりました。
このときはまだ、FacetimeやLINEビデオ電話もありませんでしたから、子どもたちは毎日毎日パパに手紙を書いていましたね。
ちょうど長女が1年生になってひらがなを覚えたところだったので、日課になっていました。今でも石井はとってあるのではないでしょうか。
2012年にも退団を考えた
2012年になってから、じつは長女が体調を崩し、学校に行けない時期がありました。私自身も学校に通いつつ、幼稚園に通う次女の世話をしながら、長女の体調のことで動いていたので、フラフラでした。
石井は、長女のことも私のことも心配して、何回も広島から東京に帰ってきてくれていました。
2012年に、石井は現役からの引退を決意しました。「選手を引退する時が広島をやめるタイミングだろう」と前から話していたこともあって、初めて広島退団を真剣に考えました。家族が一緒に暮らす必要性を感じていたからです。
ただ、同時に、石井の本心では野球人としてもっと広島でやりたい、という気持ちがあることも、私はわかっていました。
石井も家族のことが心配で一緒に住みたいと思っている。でも石井の野球人としての希望もよくわかる――かなり悩んで、長女の病院の先生に相談しました。
そのとき先生から、長女の環境を変えたほうが体調も良くなるのではと言われたことが、私の背中を押してくれました。
石井は野球を愛していて、私たちも生活があります。なにより、一緒にやりたいと思える球団にいられることは素晴らしいことです。それなら今度は家族が広島に行こう! ということになりました。
長女が4年生、次女が1年生の3学期のときでした。
そこで私たち家族3人が合流して、晴れて家族4人での暮らしがはじまったんです。
石井の故郷は栃木で、私は徳島。お互いに田舎で生まれ育ったので、広島は私たちが子供のころに育った環境に似ていました。自然に囲まれて、空気がきれいで、なんでも美味しくて。
周りの方も親切で、本当にいいところでした。
2013年7月には長男も授かりました。
長女も体調がよくなり、学校に通うようになっていました。次女は素晴らしいテニスのコーチに出会うことができ、東京のときから姉と一緒に習っていたテニスに、一層のめりこむようになっていました。私たちは広島で、いろんな恩恵を授かりました。
2012年に、石井は現役からの引退を決意しました。「選手を引退する時が広島をやめるタイミングだろう」と前から話していたこともあって、初めて広島退団を真剣に考えました。家族が一緒に暮らす必要性を感じていたからです。
ただ、同時に、石井の本心では野球人としてもっと広島でやりたい、という気持ちがあることも、私はわかっていました。
石井も家族のことが心配で一緒に住みたいと思っている。でも石井の野球人としての希望もよくわかる――かなり悩んで、長女の病院の先生に相談しました。そのとき先生から、長女の環境を変えたほうが体調も良くなるのではと言われたことが、私の背中を押してくれました。
石井は野球を愛していて、私たちも生活があります。なにより、一緒にやりたいと思える球団にいられることは素晴らしいことです。それなら今度は家族が広島に行こう! ということになりました。
長女が4年生、次女が1年生の3学期のときでした。
そこで私たち家族3人が合流して、晴れて家族4人での暮らしがはじまったんです。
石井の故郷は栃木で、私は徳島。お互いに田舎で生まれ育ったので、広島は私たちが子供のころに育った環境に似ていました。自然に囲まれて、空気がきれいで、なんでも美味しくて。周りの方も親切で、本当にいいところでした。
2013年7月には長男も授かりました。
長女も体調がよくなり、学校に通うようになっていました。次女は素晴らしいテニスのコーチに出会うことができ、東京のときから姉と一緒に習っていたテニスに、一層のめりこむようになっていました。私たちは広島で、いろんな恩恵を授かりました。
>>3と>>4の間が抜けてるだろ
広島でいろんな恩恵を授かりました
↓
早速東京に戻りたいと打診しました
>>23
すまんな
初めての「退団願い」
次に真剣に、石井が退団を考えたのは2014年のことです。長女が「東京の中学に行きたい」という決意を固めたことがきっかけでした。
東京では中学につながっている附属の小学校に通っていたので、中学に行くのであれば6年生の2学期、つまり2014年の9月1日には小学校に戻らなければなりませんでした。やっぱり附属の中学に進みたい。
だから戻りたい、と言うのです。彼女にとって広島は大好きなところだけれど、東京には昔からのお友だちがいる。ベースは東京にあったんです。
夫婦で話し合い、長女の希望を聞いてあげようということになりました。しかしここで問題が起きました。次女は、まだ帰りたくないと言ったのです。
理由はテニスでした。年中から習い事の一環で始めたテニスですが、広島にきて素晴らしいコーチに出会い、見違えるほどに上達していました。家の隣に偶然テニスコートがあり、いつでも練習できるという恵まれた環境もありました。
ただ、私がその年の1月に虫垂の腫瘍摘出の手術をして、体も弱っている中で0歳児の長男がおりましたから、姉や義姉に広島まで来てもらって手伝ってもらっていました。そんな中、子供が東京と広島に分かれて暮らすには不安がありました。
そこで、まずは9月に私が長女と長男を連れて先に帰り、石井が2014年の秋でコーチをやめて年末まで次女と暮らし、それまでに東京でのテニス環境を探してから帰るようにしようと話しました。
「10月でパパはやめるから、生活もなんとかなるよ」と次女に言っていましたし、最後になってしまうからと長男を連れて広島の試合を一緒に見に行きましたね。
早速、石井は球団に「東京に戻りたい」と打診をしました。ですが、球団本部長に「できれば残ってほしい」と言っていただいたんです。
この年、カープは初めてクライマックスシリーズに出ることができた年でした。石井も「もっと強くなれる!」という手ごたえを感じていただけに、部長のお言葉はよくわかったそうです。
何度も考えた末、石井は「やっぱりカープは今が面白い。絶対に強くなるから、もう少しやりたい」と私に言ってきました。選手でも田中君や菊池君、丸君など、多くの若手が伸び盛り。これから間違いなく育つ選手が多いと感じたのだそうです。
そんな環境でコーチができるのは幸せなことですよね。
結局、次女だけが帰ってくることになり、石井はまた寮生活に戻りました。
それから2016年に打撃コーチとなり、25年ぶりの優勝を祝うことができました。多くの方に石井の功績もたたえていただき、2009年には想像もしないことでした。本当に嬉しかったです。
家族が一緒に住めるのは今だけ
そして今年の4月、長女は中学3年生、次女は小学6年生になりました。
来年からは長女は高校生。それまで次女と一緒に週5回習っていたテニスをやめ、将来やりたいことができたと、大学に向けて勉強も頑張っています。大学に入ったとしたら、きっと家を出ていくのでしょう。
次女は、小学校1年生のころから「プロのテニス選手になりたい」と言っていました。その希望を聞いたコーチのご指導のもと、12歳以下のテニスランキングでは関東トップ、全国でも上位に入賞することもできました。
しかし次女が「プロのテニス選手になりたい」となると、トレーニングにしろ、スポーツ選手のメンタリティにしろ、私だけではどうしても理解できないことが増えてきていました。
facetimeもLINE電話もなくてもSkypeはあっただろ
>>5
普通の人は知らないもの出されても
>>10
スカイプ知らんは情弱すぎんか
>>5
サンキューマッツ
例えば、母親としては、テニスがうまくいかなかったときのために、受験をしなくても進学のできる附属中学に行かせた方がいいのではと思っていました。しかし石井は「楽な道を残すな。退路を断て」と言います。次女本人もそれを望んでいます。
そこまでしてやらなくてもいいのでは……とつい思ってもしまうのですが、プロの世界は甘くありません。ストイックに努力し続け、プロのスポーツ選手として成功した石井の言葉は、とても説得力があります。
結果、姉と同じ附属中学ではなく、公立の中学に転校し、テニスに集中することにしました。これからプロになるために挑戦し続けるでしょうし、海外に出る可能性もあるでしょう。
さらに、4歳になる長男のこともありました。どうしても運動が得意ではない私とだと、外遊びに出ることも少なく、電車ごっこなどのインドア遊びが多くなります。
石井自身も長男と一緒に遊ぶことができる時間が限られていることもわかってきたようです。
「家族5人で一緒に住めるのは今だけではないか」
「今は家族5人で一緒にいたほうがいいタイミングではないか」
石井も私もそう思ったのです。
そこで、今度は固い決意で、球団に「今年で退団させてください」と相談をしたのでした。
就職活動を意識した発表時期
9年在籍していたので、球団は2回目の優勝をした今年やめると言ったことに、ずいぶん驚かれたようです。でも3年前にやめると言っていたのをやめないでいたことに対して、感謝してくださったとか。
河田雄祐さんとは2年間一緒にコーチをしていたので、石井は一番に報告をしたそうですが、そこで河田さんもやめることを聞かされました。河田さんもご家庭の事情があって、東京に戻らなければならなかったようです。
二人一緒にやめられるのだろうかと懸念しましたが、球団が事情を汲み取り、受け入れてくださいました。
退団の発表は河田さんと一緒に、クライマックスシリーズの直前でしたね。あれは、球団が就職活動をしやすいように早く発表してくださったのだと思います。
シリーズが終わったあとでは、どの球団も秋のキャンプに向けて人事はすでに決まっています。こちらの気持ちを汲んでくださり、しかも転職しやすいように早めに発表させてくださった。
広島には心から感謝しています。
それでもまさかすぐにヤクルトからお声をかけていただけるとは思ってもいなかったので、本当に恵まれているんですね。
広島のファンの方々からも温かい声をたくさんいただいて、心から幸せだと思います。
石井と河田さんと二人のコーチが同時にやめることになってしまうので、ファンの方が寂しがってくださっているのに申し訳ないねと話したとき、石井はこう言いました。
「大丈夫だよ、もう強いから」
自分が教えることは教えた、カープはさらにもっと強くなれると確信できているのかもしれません。
幸せな広島での生活に、私たち家族は感謝の思いしかありません。
石井琢朗(いしい たくろう):1970年生まれ。1988年ドラフト外で横浜大洋ホエールズ(現在の横浜DeNAベイスターズ)入団。
名遊撃手として、ベストナインはじめ多くの賞を受賞し、1998年には選手会長として横浜の38年ぶり日本一に貢献。
2009年より広島カープに移籍、2012年に現役選手を引退し、走塁・守備コーチを経て一軍打撃コーチ。2016年には広島カープを25年ぶりの優勝に導いた。2017年秋、ヤクルトスワローズの打撃コーチに就任。
荒瀬詩織か
流し読みやけど広島に行って家族は成功したんやろ?
何でいつの間に東京に戻ってんの?
糞長い
なっが
長いしなんど辞める決意するねん
なげぇなぁ
ヤクルトで、打撃コーチか
ヤクルトに宮本と石井琢朗がおるなんて不思議やな
終わりやぞ
>「大丈夫だよ、もう強いから」
これ一読するといい言葉に聞こえるけど
すげえ冷たい一言よこれ広島に思い入れなさそう
>>22
こいつ生きづらそう
天使召喚しろ無能
長い
ソース貼ってくれや
スパイ野球の伝道師
長い
「家族と一緒に過ごしたいから退団して東京帰る」
これだけで十分
たまたま二人同時にやめてたまたま二人同時にヤクルト入団が決まったのか
偶然ってあるもんやね
やっぱ家族だよなぁ
選手やコーチにとって年俸なんかどうでもええねん
楽な道を残すなってカッコええやん
そらヤクルトのコーチなんて縛りプレイする訳ですわ
>>33
真上の人間とID被るなんて始めてや
>>42
すまんな
広島県民がどれだけ広島は素晴らしいと語ろうが優秀な県民は全員東京に流出するからな
要約すると私は東京の生活が良いから子供を東京の学校に行かせて夫も呼び寄せました
だな
いやこれヤクルトがどのタイミングで声かけてた分かったら問題になるで
というか退団前に記事出てたが
まあそれはわかったわ
ただ発表のタイミングにはまだわだかまりはあるにはある
>>37
綺麗に書いてるけど先にヤクルトと話つけてたから
ヤクルト入団が漏れる前に仕方なく退団発表やろ
>>43
この線が濃厚よな
だから記事が胡散臭く見えるんだよなぁ
>>38
サンガツ
せめてパ・リーグ行ってほしかったなぁ
これ全部読むほど石井琢朗に興味ないわ
しほさんの画像はまだンゴ?
広島が拾って遣ったのに恩を忘れて東京に帰るとか許されないだろ
次女すごいな
あと2,30年はコーチ監督できるわ
家族中心は仕方ない
漢広島フロント、あえてCS直前に発表しナインの発奮を狙った模様
なお
子ども優先だわな
発表のタイミングのせいで広島の選手いまいちやる気出なかったんやないの
次女ええやん
頑張ってほしいな
なんかすげえタイミングで発表しとったよな
なんでなんや
大丈夫だよ、もう強いから
ヤクルトも大丈夫になるんやろか
つーか文がなげえわ
いまいち要領も得ないし
めっちゃ早口で言ってそう
これ見ると別にヤクルトが引き抜いたわけではないのか?
それとも表向きこういう理由でって感じで内実には辞める前から粉かけてたのか
>>63
去年ぐらいからか娘がテニスめっちゃうまくなってるから広島出ていくやないかとかいうのは結構噂されてたわ
>>63
石井と親しい記者は夏には石井から
「来季は関東でお会いすることになります」
と言われてる
タクローはずっと単身赴任してると思ってた
一度でも東京で暮らしたら広島なんて不便で住めたもんじゃない
美人やったな
この感じだとやめたあとにヤクルトから話きたみたいなかんじだけど
やめる発表からリークまでかなり短かったよな
>>68
真相は東京に帰りたい琢朗河田とコーチが欲しいヤクルトの思惑が一致しただけやろ
なげーよ
長い
読むのに7分かかったわ
家族と一緒に過ごせるのは今だけだからカープ辞めて東京でみんなと住むンゴ←めっちゃわかる
ヤクルトでまたコーチ業やるンゴw遠征ばっかりで家居ること少ないけど東京のチームだからセーフンゴwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww←
セリーグなんてシーズン中の半分は関東なんだから余裕で帰れるやろ
山本昌だって横浜にマンション持ってたし
子供よく転校受け入れたな。
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