――同じ日、前カブス上原の巨人復帰が発表された。
「ボクも(古巣横浜に)戻れたらいいなとは思います。でも、こればかりはタイミングなので仕方がない。上の人がストップをかけていることもある。(横浜時代の同僚で現楽天の)藤田は、『楽天に来てくださいよ』と言ってくれたりしましたけどね」
――その横浜時代の態度がNPBから声がかからない一因という見方もあるが。
「そういう(悪い)イメージが影響しているんじゃないかと思われていることは知っています。でも、ボクのことを知らない人が勝手に言っていればいいと思っている。
横浜と巨人でプレースタイルは変わっても、(チームの勝利に貢献するという)ボク自身のやることは変わらない」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180310-00000024-nkgendai-base
2018年03月
【MLB】大谷争奪戦の余波? カーショーが大谷代理人に嫌悪感「時間と努力を無駄に」
7日(日本時間8日)に行われたオープン戦では、ドジャースのエース左腕クレイトン・カーショーにスローカーブで見逃し三振に仕留められてしまったエンゼルス大谷翔平投手。
ドジャースと言えば、昨年12月に大谷獲得に向けて直接交渉に臨んだ7球団の1つだが、どうやらエース左腕は交渉直後に大谷とチームメイトにはならない運命を悟っていたようだ。地元紙「ロサンゼルス・タイムズ」電子版が伝えている。
花巻東高時代から大谷の動向を熱心に追ってきたドジャースは、“二刀流”が移籍先に選ぶ本命チームと目されていた。
大谷の代理人を務めるCAAのネズ・バレロ氏は、獲得に興味を持つ球団に資料提出を求め、“書類選考”を実施。
通過した7チーム(エンゼルス、ドジャース、カブス、ジャイアンツ、パドレス、レンジャーズ、マリナーズ)
が面談に進み、契約することのメリットについて大谷本人に直接訴えかけた。
記事によれば、ドジャースはフリードマン強化担当責任者、
ザイディGM、ロバーツ監督、カーステンズ球団社長、マクダニエル・コンディショニング担当コーチに加え、
結婚記念日だったカーショー、結婚式準備に忙しかったジャスティン・ターナー、そして東海岸バージニア州から早朝便に飛び乗ったクリス・テイラーの3選手が、大谷との面談の席に着いたという。
この時を振り返り、カーショーは「ハンパなく無駄な時間だった」、
ターナーも「無駄な時間だった」と異口同音に語っている。
カーショーによれば「彼はDHをしたいと心を決めているようだった。最初から15チームは除外するべきだったんだ。
ナ・リーグ球団はみんな忸怩たる思いだったと思う。彼の興味を引いて契約するために、数多くの人が相当な時間を費やしたんだから」と話し、
「時間と努力を無駄にした彼に腹が立つ」と嫌悪感を示したそうだ。
ドジャースが持つ絆や雰囲気について熱弁を揮ったというターナーは
「彼はあの場に座っていないようなものだった。自分たちは窓に向かって話をしている感じだった」と、まったく手応えや反応を掴めなかった様子。
面談直後は2選手とは違う印象を持っていたロバーツ監督も、今となっては「彼はア・リーグに行きたかったんだよ」と話しているという。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180309-00111340-fullcount-base
【確定!】上原、巨人への復帰が確定する【背番号11】
【楽天】「清宮世代」ドラ6ルーキー西巻、打率5割「一日一日やれることをしっかり」
楽天・西巻賢二内野手(18)が7日、開幕生き残りへ清宮世代を率いていく考えを示した。
昨年のU―18日本代表でチームメートだった清宮や安田らが苦しむ中、ドラフト6位で入団した西巻はオープン戦全4試合に出場し、6打数3安打、打率5割。
高卒新人では最多の安打数をマークし「これからも変わらず、一日一日やれることをしっかりやりたい」と意気込んだ。
8日に藤田が合流し、1軍野手は19人。
梨田監督は開幕1軍について「野手は17人になるかな」と示唆。先発投手を開幕後に出場選手登録するために、開幕時は野手を増やすプランを明かした。
2軍調整中の茂木が開幕には間に合う見込みで、現在は捕手が4人。捕手を除いた野手は1、2人がふるい落とされることになる。
この日は岡山・倉敷で全体練習に参加。同世代の動向は「ニュースとかでやってたら見ますね」と気にかけている。身長167センチの小兵がアピールを続ける。
【元日ハム】多田野氏 引退セレモニーの日に解けた“わだかまり”「今度食事でも行こう」
多田野氏で思い出される試合の1つが、12年の日本シリーズ第5戦。巨人が5―2のリードで迎えた4回に犠打を試みた巨人・加藤健の頭部付近に直球を投じた。
実際にはボールは体に当たらなかったが、当初のファウルの判定から死球と判定されて、多田野氏は危険球退場となった。
多田野氏と加藤氏は同学年。いわゆる「松坂世代」だ。多田野氏にとってはあの試合を思い返すたびに「すっきりしなかった」という“因縁”の加藤氏から引退セレモニーに合わせて花束とともにメッセージが届けられたのだ。
現在はBCリーグ新潟の球団社長補佐を務める加藤氏と親交のある日本ハム・木田優夫GM補佐を通じ「お疲れ様でした。行きたかったけど、行けなくてすみません。今度あらためて“お疲れさま”と直接言わせてもらいたい」との言葉が多田野氏に届けられた。
木田GM補佐が仲介役となり、セレモニー後には直接電話で会話した2人。「あの試合以来話していなかった」という多田野氏は「すっきりした。今度食事でも行こうという話をした」と晴れやかな表情で話した。
現役時代はリーグが違うこともあり、同学年ながら普段から話す機会は少なかったという2人。多田野氏は「今では仕方なかったと思う。ずっと話していなかったのも、たまたま機会がなかっただけ」という。
多田野氏の引退セレモニーを機に距離が縮まった2人。今後はそれぞれの立場で野球界に貢献していく。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180308-00000087-spnannex-base